12月17日 (日)  以前から

舟形石棺と家型石棺の違いが解らなかったのだが、その謎が解けた。
家型石棺の適当な画像が無いので比較出来ないが、二番目の画像にあるように底と側面が90°では無く、少し開いている - 底の方が狭まっている - のが舟形石棺らしい。
また、舟形石棺は阿蘇の凝灰岩で作られており、九州(熊本)地方独自の形状のようである。
多分、こっちの人には家型石棺という風に映るのだろうが、九州の方には舟形(近畿の家型とは違って、自分たち独自のと言う意味で・・・当方の妄想だが)という事になるのだろう。

千賀先生も説明の中で、家型石棺と船形石棺を区別するべきだと(いう風なニュアンス)仰っていた。

ともかく、重要なのはそんな、九州でしか作成されない石棺が畿内に運び込まれており、市野山古墳の陪塚と見られる円墳(長持山古墳)から出土した事であろう。
この点については『本編』の市野山古墳のページに追加したいと思う。(いつになるかは解らない)

それと、築造企画の研究について最近の状況はどうなのですか?とお聞きしたところ、古墳の編年にはなるが、もう研究され尽くした感があるので最近は特に研究対象になっていないような事を仰っていました。
当初、上田先生が思い描かれたような『形状企画が被葬者やその属する集団の性格を現すのでは無いか』などの浪漫あふれる結末には成らなかったのだろう。
個人的には残念至極である。

ちなみに、前方部の増大について、先生は『前方部にも埋葬するようになったからではないか』と仰っていました。まぁ、ほんの短い会話しか出来なかったので、他にもイロイロな見解があるのでしょうが、機会があればじっくり質問攻めしたいです。(ムリですけどね)

最後に、本日は友史会の例会で古市古墳群の北半分を千賀先生に案内して頂きました。
そういえば、昨年は佐紀古墳群を案内してもらっています。
なので、古市の第二回目は来年の12月という事になるのでしょうね。

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