2月27日 (日)  大石棺佛

昨日は龍王山へ行ってきた。行燈山古墳から櫛山古墳の南側を経る崇神ルートで登り、下りは長岳寺へ至る長岳寺ルートで下って来た。どちらもほぼ同じところからスタートし、戻ってくるパターンではあったが、崇神ルートの直ぐ南側の沢は行燈山を盟主とするグループと渋谷向山を盟主とするグループを分けるとされている。

墓域と言うのだろうか、某研究所の研究員の方に「墓域の定義」について書かれた書物は無いかと訪ねた事があるが、即座に「そんなものは無い」との回答を得た。早い話、墓域とはそんなものなのである。ましてや古墳時代初頭の4世紀前半のことである。

ちょっと、話が脱線した。
で、長岳寺ルートで降りてきたのが13:00過ぎくらいだったろうか、時間的に余裕があったので長岳寺に寄って見ることにした。拝観料\300を支払って中に入ると目に付いたのが「大石棺佛」の看板。それが示す方向へ階段を上がると、確かに凝灰岩っぽい材質に石仏が彫られている。それにしてもでかい。津堂城山の八幡社に石棺の底石あるいは蓋石と思われる石材を利用した石碑があるが、それよりも一回りは大きいと思われる。

# もう、何度も失敗しているのにやっぱりメジャーを持ち歩くのを忘れてる。

それに、どこを見ても他の石材と組み合わせるための加工跡、なんと呼ぶのか解らないが「ホゾ」と言うかミゾと言うか、他の部材との嵌合するための加工、が見られない。これは本当に石棺の部材を利用したものなのだろうか?だとすればどこから出土したのか?まぁ、このあたりには古墳がそこらじゅういたるところにあるし、過去においてはもっと有ったやろうから、どこの古墳から掘り出されたかなど解る訳も無い。

ただ、これだけの大きさやし、せめてどこの産地でも解れば妄想のしがいもあると思うのだが・・・。

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