Diary 2008. 9
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9月2日 (火)  何と言いますか・・・。

福田さんが辞職しましたなぁ。とは言っても議員を辞めた訳ではなく、総理大臣をやめただけなので、それなりに収入は減るでしょうが、まぁ精神的、肉体的に格段に楽になる道を選択したと言う事ですな。

まぁ、今の日本社会にとっては極当たり前の選択だと思います。そら政治家だけにイロイロ言う人も居てるかも知れませんが、そんな輩に限って、オノレも大したことが無いはずです。

お次は、今頃になって入梅や梅雨明けを修正するんですなぁ・・・。後から見えるのは結果だけちゅうことなんでしょうか?これも最近の日本では極当たり前の行動でしょうなぁ。但し、国際社会では、同様に振舞えず、反対に毒入り餃子に対する中国の対応のように、反対に振り回される側に回っているというのが、これまた滑稽やし、この滑稽さも国際社会における日本の、言いかえれば日本政治の「お約束」みたいなもんである。

最後は、ウナギの酒を飲ませて滝つぼに放流し、豊作を祈るという京都府宇治田原に伝わる行事についてだが、以前に「ドジョウは土を喰って生きているから、ドジョウを生きたまま飲んだら、胃の中で悪い毒素を食べてくれるのだ!」という事で、生きたドジョウをコップに入れて、そこへお酒を注ぎ、一気に飲み込むと言う健康法?を聞いたことがある。まぁ当方に話してくれた人も、当方も出鱈目であるとは解っているのだが、そんな話をこのニュースを見て思い出した。
その話ではドジョウの入ったコップにお酒を注ぎドジョウが暴れる(たぶん苦しいから)姿を見て「元気がエエやろ!」ちゅうて一気に飲むことになるのだが・・・

宇治田原のウナギは酒を飲まされた後、10m下の滝つぼへ放り投げられるらしいのだが、行く末はどうなるのか・・・木津川へ流れ下って生き続けるてくれることを祈るばかりである。

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9月3日 (水)  角界大荒れ

ですな。
先日の若ノ鵬に続き、露鵬と白露山も薬物検査でマリファナ陽性反応が出たようだ。相撲界が本格的に国際化?したのは何時頃からだろうか?旧態依然とした日本的組織に多くの外国人が入ってくるのは、まさにブラックバスが各地の湖沼や河川に放流され爆発的に生態系を破壊していったのと同じことである。

これが国際化の真の姿だと思うのだが、学者先生や政治家さんたちはどのように感じておられるのだろうか?

それにしても、この出来損ない親方の発言には呆れ返る。まさに当方が以前から感じている日本の伝統的的道徳観と戦後の欧米型価値観との劣勢遺伝そのものであり、今や日本の価値観のスタンダードとも言えのでは無いだろうか。

今更こんなことを言っても何にもならないが、もう一度、国際化とは何かをしっかり考えて、それなりの行動をとるべきでは無いだろうか?

最後になったが、もちろん当方もしかりである。残念なことであるが、そうしないと生きていけないから仕方が無い。自爆!

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9月7日 (日)  橿原考古学研究所創立70周年記念講演

で、古墳築造基本尺度に関して「ヒロ」を唱えておられる宮川■(ぎょうにんべんに歩)先生(本職は歯科医らしい)と森浩一先生の話を聴いてきた。どちらも戦中から終戦の時期にかけての、両先生が考古学と出会われて、中学生や高校生ながら一線の先生方に混じって活躍されていた頃の話である。
まぁ両先生方が優秀であられたと言う事もあろうが、当時考古学学会と言うか、日本の国のレベルがいろんな意味でその程度だったのであろう。ある意味、新生日本?の草創期らしいなぁと個人的には感じた次第である。

以前に、古墳の築造企画における基本尺度として宮川先生と共同研究をされ「ヒロ」を提唱しておられる石部先生の著書のなかで、石部先生は、制度尺(度量衡の統一によって生まれた基本尺度と考えても良いと個人的には思う)は、なんらかの政治的な理由、例えば検地による米の収量把握とか、があって、初めて導入されるものであり、当時はそのような政治機構が存在していなので「漢尺」などが用いられたとは考えにくい。というようなことを仰っておられたが、宮川先生は旧制中学卒業後、一時農業高校で学んだ時の田植えなどによる実習経験と稲作文化や呪術的な面から「ヒロ」が基本尺度であったと提唱されているようである。

森先生からはウワナベ古墳の陪塚の発掘調査の話を中心に戦時中は末永先生が陸軍の佐官であったことや、終戦直後の発掘作業などが、事業主体?は宮内庁や奈良県なのに、発掘していた先生ら(当時は高校生で末永先生が設立された橿原考古学研究所のパシリであった)には賃金はおろか交通費なども払われなかったこと、また発掘の結果、出土した遺物は宮内庁に収められていること。発掘時の貴重な資料が担当者S氏の不注意で電車の網棚から窓の外へ散逸させてしまったことなど楽しい話を聞かせて頂いた。

宮川先生、森先生、ともにタイプは全然違うが両先生共に芯のある素晴らしいお方であると感じた3時間であった。


9月9日 (火)  また大阪本社かいな

工業用の毒入り?米を農林省から仕入れて、食用として転売してた会社が摘発された。またもや大阪本社である。吉兆と言い、水産会社(こいつは神戸?or徳島?)と言い・・・情けないなぁ。

まぁ、今の世の中まともに生きてる者がバカを見るので、バレへんかったら何をやってもエエのんかも知れんけど・・・我社のカス次長やその取巻きも含めて、情けないのやら、裸の王様やら・・・。

そう言うたら、夕食にエビチリを喰ったのだが。本日購入したらしい、レトルトのソースの賞味期限が2008/8/23やったらしい。家人もオマヌなので、明日にでもレシートを持って変え返品に行けば良いのに、機嫌が過ぎてるから「早よ食べなあかん」ちゅうことで、急遽、今日の夕食に並んだらしい。

しかし、ちょっと違うかも知れないが、エエ意味で「買ってしまったし、早めに食べた方がええなぁ」と自ら貧乏くじを引くような精神が今の日本には不足しているのではないだろうか。(まぁ、当方なら返品に行くけどね)そんな人が恥知らずのカス共に食い物にされるのである。(まぁタダのアホちゅう意見も大いにある)

いずれにせよ、「ほんの少し自分がドロを被っても他人に親切にしよう」というような精神がほとんどどこにも見られなくなった − おそらく、恥知らずに一掃されて絶滅した − と言うことである。

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9月14日 (日)  幼少の頃を思い出して・・・

良く釣りに行った高安山山麓のため池を訪ねた。当時はチャリンコで行くことがほとんどだったが、もう歳取ったので電車を利用して行ってきた。もう40年近くも前の事なのでどうなっているかと思ったのだが、駅近辺の様子はあまり変わっていない様であった。ただ、当時釣糸を垂れた池はいくつもあったが、もうそのどれも釣りが出来るような状態ではなかった。もう無くなっていた池もあったし、サワガニやエビが居た沢も護岸されて見る影もなくなっていた。住宅が多く出来ていたことは言うまでも無い。

唯一、砂防ダムの直ぐ下にある池の周りは護岸もされず、自然の沢がのこされていたが、なんとその池はニッポンバラタナゴの保護繁殖用の池になっていたのには驚いた。以前に、ニッポンバラタナゴの保護活動に関する講演会を近所のホールで聴いたときにそういう池があって保護活動をしていますとの発表があったので、その存在は知っていたが、まさか40年前に釣りをしたりモンドリを仕掛けた池がそうなっているとは・・・。

当時はニッポンバラタナゴなどと言う名称は知らなかったのでキンタイと呼んでいたのだが、モンドリを仕掛けるとそれほど数は多くないが、モロコに混じって時々取れる事があったと記憶している。結構珍しい部類ではあったが、神社の池(いつかここで紹介したと思う。)でも獲った記憶があるので、まだまだ棲息していたのだろう。

その後、幾つかの群集墳を訪ねて帰宅した。まだまだ暑くて汗だくになったが、楽しいひと時を過ごすことができた一日でした。

う〜ん、日記やね。

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9月15日 (月)  この三日間

昨日は少し出かけて、それなりに楽しい?思いもしたが、全体としてはこれと言う事もなく終了してしまった。また明日から・・・である。

先日、橿原考古学研究所であった創立70周年記念講演で宮川先生の講演を聴いたのをきっかけに、性懲りも無く企画論についてアレコレ考えだしている。今回は自分なりにすこしは整理できそうな気もするのだが、こればっかりは過去の経験から途中でとんでもない方向へ行ってしまうパターンなので注意が必要である。
もう数日かけたら完成しそうなのでトピックに加えたいと思う。

しかし、企画からみばっかりのトピックになっている。埴輪とかも書きかけてはいるのだが、もう一年以上?も放置されたままである。アホはアホなりに、イロイロと解ってくると書きにくくなってしまう。自分のボケ防止にやってるだけの事なので、結構エエ加減にやってるつもりなのだが、あまりにもエエ加減過ぎるのも気になる。

まぁこのあたりが、アホなりに・・・書いたところではあるのだが。
ともかく、もう少しで完成しそうなのだが油断大敵である。

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9月17日 (水)  企画論Part4

をアップしました。
自分では理解が進んだと思っているのですが、果たしてそうなのかどうか・・・?
基本的にほとんどアクセスは無いのですが、その状況下でもポツポツとアクセスのあるページに比べても全くアクセスが無いのでねぇ・・・。

話は変わるが、日本では三笠フーズの非食用米を食用として流通させた事件が世間を騒がしているが、中国でも粉ミルクから毒物が検出されたらしい。あの餃子の時はいったい何やったんや?あんなもん彼奴らも国内で混入したことはわかりきっていたハズである。それを五輪が控えているからと言う理由で、あそこまで高飛車に他人、それの被害者が悪い、と言うような態度を取るんやから。ホンマ、もっと彼奴等の人間として腐り果てた性根を国際社会の大きく宣伝するべきであったのでは無いだろうか?結果論ではあるが、途中で総理の職務を投げ出すのならなおさらやよね、福田さん。

アメリカではサブプライム関連で大手証券会社が経営破たんするし、その日本法人も逝ってしまうし・・・世の中ますます真っ暗闇になりそうな雰囲気である。

果てさて、孤独死の避けがたい老後を控えた今、何をしたら良いのだろうか?


9月18日 (木)  大人買い?

帰宅の車中でラジオを聴いていたら、「大人買い」と称する購買方法の話題が出てきた。(子供に比べて資金力があるので)一気に欲しいものを手に入れるという購買方法の事を言うらしいけど、これって全然大人ちゃうやんか。

むしろ、「子供買い」と称する方が正しいのでは無いか?と思った当方は異常なのだろうか。

ひょっとしたら数十年後にはチマチマ買い物をする「子ども買い」が流行るのかな?

どっちの世代が幸福なのか・・・

なかなか交換レンズを買えないぷうたくんでした。笑


9月20日 (土)  大和川の土手

散髪の帰りに大和川の土手を走ってみた。(もちろんチャリ)東を向くと二上山を背景に市野山、仲津山、誉田御廟山の墳丘を見渡すことが出来た。もう少し視線を南方向に向けると津堂城山が見えるハズである。(倉庫か工場が邪魔で見えない)さらに視線を西へ向けると河内大塚山も見える。

1500年前のこのあたりがの大和川が今のような天井側で同様の土手があったとは思えないが、水運を利用して難波と河内、ヤマトを往来する人々の目にもこれらの前方後円墳が映っていたのだろう。彼等にとってそれらは一体何でどのように映っていたのだろうか?

明日は百舌鳥古墳群を訪れる予定である。

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9月21日 (日)  百舌鳥へ行ってきた

百舌鳥古墳群と言うだけあって、やっぱりJR阪和線の百舌鳥駅がいちばんアクセスに都合が良いみたいです。
今日はぐるりと大仙古墳を一周して、石津丘ミサンザイの後円部墳頂だけを眺めて、昼メシ喰って、博物館を見学して、いたすけ、御廟山を回ったところで雷鳴が猛然ととどろき、天には稲光が走り、百舌鳥八幡に辿り着く頃には大雨となったので、ツアーはここで打ち切り。

土師ニサンザイは・・・どうなるのやろ。
数年後に百舌鳥を回るときまでお預けちゅうことやろね。

んなわけで、全ての行程を終えることはできなかったが、お楽しみが残ったと言う事にしておこう。

大仙公園のいちょうには銀杏がなっていた。今日も蒸し暑い一日であったが、着実に秋がおとずれているようだ。(青空やったらもう少しキレイな写真やったかも)

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