7月1日 (木) 肩痛
ここ10日ばかり肩痛が続いている。何年か前から定期的に痛くなり、数日から10日ほどで気づかない間に直ると言うサイクルを繰り返しているが、今回はちょっとムリをしたこともあり痛みの度合いがいつもよりひどい。 昨日くらいから少しづつ背中へも手を回せるようになってきたが、まだ腰の少し上あたりまで回すのが精一杯の状態である。
いつも病院にでも行こかなぁ・・・と思っている矢先に痛みを感じなくなるので、そのまま放置の状態が続いているが、一度どないなってるのかレントゲンでも撮ってもらう方が良いのかも知れない。
以前にもどこかで書いた事があるかも知れないが、母親によると幼稚園に行く頃までは良く肩が抜けたらしい。なんとなくどこかに接骨院みたいなところに居た記憶が残っているような気がする。もう遥か数十年も前の事なのにね・・・。
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7月7日 (水) 可能性はあるが、蓋然性はない
ふと、蓋然性の反対語は何やろ?と思ってGoogle先生にお尋ねしたところ、提示された幾つかのリンクの中に夏目漱石の言葉として紹介されていた言葉の一部である。全文は『私がこの教壇の上で逆立ちをする可能性はあるが、蓋然性はない』と言うものである。
読んだ瞬間ハッと思った。こう言う使い方をするんですな。流石大先生である。難しい?ことをいとも簡単に説明している。古墳とか訳のワカランものに興味を持ってイロイロと書籍を読み出すと、タダでさえ読書などしなかった当方にとって、難しい言葉が次々出て来る。辞書で調べながら読むことも珍しくない。もうずいぶん前の事であるが、「蓋然性」なる言葉もその一つであった。
話を元に戻して、何について「ハッ」と思ったかと言うと、当方の職場では入社以来、ことあるごとに「変化」とか「改革」とか「手順」とか「コンプライアンス」とか訳のワカラン御託を並べて「体質」が変わらないだろうかとお呪いをかけるのが社長の主な責務となっている。そんなお呪いについてパートのおばちゃんやおっちゃんと、体質が変わる可能性は「可能性があるか無いかと言う点において」は「有る」やろうけど、「実際に変わる可能性」は「無に等しい」なぁ・・・などとウダを巻いたりすることがあった。
先ほどの漱石大先生のお言葉はまさにコレである。最近、ウダを巻くことも無くなった(絶望感からか?)が、もし巻く事があったらこの言葉で決めてみたいと思う。我社のボケナス管理職共は誰も理解できんやろな。爆
「得意先の要望に従い改善活動を継続すれば企業体質が変わる可能性は大いに有るが、その蓋然性は全くと言って良いほどないだろう」
で、蓋然性の反対語って何?・・・爆
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7月11日 (日) 選挙行ってきました。
納税と一緒で国民の義務と言うか権利やからねぇ。 真っ当に活きてる人間がバカを見ない世の中にして欲しいです。
# 何を真っ当と定義するかが問題ですけど・・・
投票済み券?コレクションが3枚になりました。笑
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7月12日 (月) 梅雨明けは・・・
今日も朝から雨が降った。午後からは晴れ間がでてひょっとしたら梅雨明けか?と思わせたが、ニュースの天気予報では今夜から明日にかけて局地的大雨が・・・などと言うてた。
個人的には今年は結構晴れ間が多いなぁ・・・と感じている。それほど暑さも感じない。
大雨の被害が出ているところもあるので、不謹慎かも知れないが、個人的には「梅雨らしくない梅雨やなぁ」と感じている。
何か「雨」を感じさせる写真を撮りたいなぁ・・・
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7月14日 (水) 来ましたなぁ
いよいよ梅雨が明けそうです。 それも土曜日からちゅうんやから完璧ですな。
さてさて、出来るだけ金を使わずに楽しめる遊びを見つけんとあきません。
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